退職したわけでも、何か大きな決断をしたわけでもない。ただ、去年の誕生日に60歳を過ぎたことを改めて実感して、ふと思ったのだ。
「今じゃなければ、いつやるんだろう」と。
神奈川でパートをしながら、1人暮らしをしている私・井上京子、62歳。子どもたちはとっくに独立して、毎日の生活は穏やかで不自由はないけれど、何かが足りない気もしていた。旅に出たい、でも遠慮がある。体力的にどうだろう、でも動けるうちに行かないと後悔する。そんな葛藤を何度も繰り返した末に、思い切って決めた。
「75日間、九州をドライブしながら回る一人旅」。
自分でも少し笑えるような計画だけれど、これが人生で最高の選択になるとは、このときはまだ思っていなかった。
福岡空港でレンタカーを借りることにした理由
旅の拠点として福岡を選んだのは、神奈川からのアクセスがよかったから。羽田から福岡空港まで約1時間半。それほど遠くないのに、降り立ったときの「来た感」がちゃんとある。あの独特の空気、南の匂い、少し違う光の角度。そういうものが旅の始まりをちゃんと演出してくれる。
レンタカーについては、出発前にかなり時間をかけて調べた。75日間となると費用がそれなりにかかるし、パート勤務の私にとって予算は真剣な問題だ。大手のレンタカー会社もいくつか比較したけれど、長期になればなるほど費用がかさんでいく。「やっぱり難しいかな」と弱気になりかけたとき、検索で見つけたのが業務レンタカー福岡空港店だった。
ページを開いて、まず料金に目を疑った。大手と比べると明らかに安い。「何か条件があるんじゃないか」と細かく読み込んでいったけれど、ETC車載器が無料で付いているし、空港からすぐ近くで送迎もある。長期割引もあって、75日間という私の計画にもちゃんと対応してくれる。問い合わせたときのスタッフさんの対応も丁寧で、不安がすっと消えた。
「ここにしよう」と、すぐに予約を入れた。
福岡空港に降り立った朝のこと
出発の日、羽田を早朝に立った。機内で窓の外を眺めながら、「本当に行くんだ」という実感がじわじわと湧いてきた。誰かに何かを報告する必要もなく、誰かのスケジュールに合わせる必要もない。全部、自分で決めていい75日間。それがどれほど久しぶりのことか。
福岡空港に到着してから、業務レンタカーの送迎を待つ間、空港のベンチで深呼吸した。九州の湿った空気が肺の奥まで入ってくる感じがして、なんだか涙が出そうになった。
スタッフさんが迎えに来てくれて、営業所へ。手続きはシンプルで、思っていたより短時間で終わった。案内された車はコンパクトで運転しやすそうなサイズ。ETCもカーナビも標準でついていて、特別なオプションを何も足さなくていいのが助かった。「では、気をつけて楽しんできてください」という言葉に背中を押されて、エンジンをかけた。
さあ、九州一人旅の始まりだ。
75日間で巡った九州の風景たち
最初の数日は福岡市内をゆっくり走った。大濠公園の周りをのんびりドライブして、糸島の海岸沿いで車を止めて海を眺めた。平日の昼間、人の少ない浜辺に1人でいる感覚が、なんとも言えなかった。さびしいわけじゃない。むしろ、満たされている。
その後は佐賀を経由して長崎へ。長崎の坂道と海の組み合わせは、写真で見るより何倍も美しかった。グラバー園の石畳を歩きながら、若い頃に旅行できなかった自分を少しだけ悔やんで、でもすぐに「今来られたんだから十分だ」と思い直した。
熊本では阿蘇の外輪山を走った。あの広大な景色の中に自分がいる不思議さ、車の窓から吸い込まれそうな青空。思わず路肩に停めて、しばらくただ眺めていた。誰にも急かされない時間の豊かさを、そのとき初めて体の奥で理解した気がした。
大分では別府と由布院に滞在し、温泉三昧の数日間を過ごした。一人で温泉宿に泊まることへの照れくささは最初だけで、すぐに慣れた。「おひとり様歓迎」という言葉が、この旅では何度も私を救ってくれた。
宮崎では高千穂峡に感動して、鹿児島では桜島をバックに一人で写真を撮った。セルフタイマーで何度も撮り直して、やっと「これだ」という一枚が撮れたときの達成感は笑えるほど大きかった。
長期一人旅だからこそ気づいたこと
75日間というのは、旅行と生活の中間みたいな時間だった。最初の2週間くらいは観光モードで、何もかもが新鮮で興奮していた。でも1ヶ月を過ぎたあたりから、その土地に溶け込む感覚が出てきた。
行きつけのスーパーができて、よく行く道の駅ができて、「このうどん屋さん、また来よう」と思える場所ができる。そういうふうに九州の景色が「知らない場所」から「懐かしい場所」に変わっていくのが、長期旅ならではの贈り物だった。
レンタカーがあったからこそ、この旅は成り立っていた。電車やバスでは行けない場所に自由に行けて、荷物の心配もなく、天気が悪ければルートを変えて、気になる脇道に迷い込んでもいい。車は動く自分の部屋みたいなもので、シートに荷物を置いて、好きな音楽をかけて、窓を開けて走る。それだけで、じゅうぶん幸せだった。
業務レンタカーで75日間の正直な感想
帰りの飛行機の中で、費用を計算してみた。75日間という長期レンタルだったのに、大手に比べてかなりの節約になっていた。その分を宿代や食事代に回せたことで、旅の質が上がったと思う。
車の状態も良好で、途中で何かトラブルがあったわけでもなく、快適に走り続けてくれた。ETCがついていたおかげで高速道路もスムーズで、九州各地を効率よく回れた。
空港からすぐに乗り出せる便利さも、実際に使ってみて改めてありがたかった。到着してすぐに移動できる、帰りも空港に返却してそのまま搭乗できる。余計な時間のロスがないのは、一人旅では特に大きい。
神奈川に帰ってきて数日が経ったいまも、九州の風景が夢に出てくる。阿蘇の空、糸島の海、霧島の山道。あの風景の中を走っていた自分が、ちゃんと生きていたなと思う。
62歳で一人旅をするなんて無謀かと思っていたけれど、そんなことはなかった。むしろ、この年齢だからこそ感じられたものがたくさんあった。焦らなくていい、比べなくていい、誰かの目を気にしなくていい。そういう旅が、今の私にはちょうどよかった。
次はいつ来られるかわからないけれど、また必ず九州に戻ってくる。